「渇しても盗泉の水を飲まず」・・・誰に必要? 

水にまつわる諺は多くあります。

「渇しても盗泉の水を飲まず」そのとおり、どんなに苦しくても決して不正を行わないことは一般社会に広く認識されている基本的な倫理感です。

私たち一般庶民はいくら生活が苦しくても税金を納め、交通ルールを守り、ありとあらゆる公のルールに従い生き、その枠内で生活しています。

そこに不正がないか町役場から警察といったあらゆる行政機関が見ているわけで、不正は勿論、不注意や無知による違反に対してもペナルティが科されます。

他方、ルールを運用する行政側の不正は私たちが想像するより見過ごされていることが今回の森友問題でも見えてきます。

今水広場的に言いたのは既に悪行が暴露された財務省のことではなく、事に関わったかを問わず政治家のことでもありません。

検察のことです。

捜査中である事案の秘密を漏らすことは不正であり、それがまかりとおれば司法の信頼性を揺るがすため、決して看過できるものではありません。

従って、今回のリークが検察の人間がしたものであるならば、その不正が暴かれ、裁かれなければいけません。

本当に検察の人間がリークしていたとしたら、その理由は義憤かもしれません。

義憤にかられたならば、捜査証拠と自分の価値基準との間に許しがたい乖離があったからということになり、つまり自分の価値基準を絶対軸にして不正行為に至ったことになりますが、そのような理由づけを我々一般庶民がしたとき、それは傲慢といわれるでしょう。

司法手続き上あってならない秘密漏えいという不正が個人の傲慢により発生した可能性があるわけです。

事実を解明するのは検察ではなく、裁判所であるはずでしょう? なぜ正当な手続きで財務省改竄者を起訴しないのでしょう?

義憤? 生活苦に苦しむ隣人のために、儲かっている店から盗みを働く庶民を警察や検察は許さないでしょう。

今回、本当に検察の人間がリークしていたら、彼/彼女/彼らは罪に問われなければなりません。一般庶民であろうがこれを言う権利はあるはずです。

検察の秘密リークは不正行為ですが、その場合、リークを享受した朝日新聞に罪はあるのでしょうか? そそのかしていたなら、法律論はともかく、罪の存在は上記の理由からも明らかでしょう。

他方、もし検察がリークに関わっていなければ上記推測は誠に失礼千万、その場合は予め深くお詫びを申し上げます。

 

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