ケンフェ!?

ヨーロッパが物騒です。

僕が記憶している90年代の欧州とは違った空気に満たされているようにも見えます。

僕があちらに居た頃、最初は93~95年のドイツ、僕にとって直接的に物騒な主役はネオナチでした。

デュッセルドルフの自宅から毎日ケルンのオフィスに通勤、月に一度ぐらいのペースでハンブルグに出張していた頃です。

ゾーリンゲンではトルコ移民の女性たちの住まいが焼き討ちにあい、数人が死亡。

ちなみに私はそのアメリカ資本ドイツ現法に勤務する唯一の日本人、唯一のアジア人、そして唯一の有色人種でした。

とある出張。ハンブルグの日本商社とのアポイントを終え、社用車のフォード・スコーピオで市内を観光気分で運転していたら、繁華街の一角に迷い込みました。カーナビは勿論ありません。

路地の迷路を迷った末に出た先は、100人ぐらいでしょうか、スキンヘッドに鎖チャラチャラのネオナチが集会をしていたところでした。そのど真ん中に鼻が突っ込みます。

一方通行でバックはできません。

まずウインドウを閉めます。ナイフを出し睨むネオナチたちが車を囲む状況。

打開するため、とにかく誰とも目をあわせず、間違っても彼らの足を踏むことのないように、3センチ、5センチと進んでいくわけです。こちらはいつものように一人。誰も助けてくれません。

その後の詳細は記憶にありませんが、今生きているということはそこを無事に乗り切ったということになります。

その顛末をケルン支店のボスに伝えました。ユルゲン・バーマンさん。彼に英語でまくしたてたことだけは覚えています。

「バーマンさん、ハンブルグで死ぬかと思った」

ここで言いたいことは彼がその後に発した一言、それだけかもしれません。

「ヘア・オリウヒ(Herr Horiuchi = Mr.Horiuchi)。 ケンフェ! You had to  ケンフェ!」???

ドイツ語能力が不足していた私はその瞬間はよく意味が分かりませんでした。「ケンフェって何?」

その後で辞書で調べたら、「戦う」という意味であることが分かりました。

あの状況で、こちらは一人であろうと彼らに立ち向かうべきであったらしいのです。

その後もいろんな場所でなぜかネオナチたちには囲まれ、都度、車から出ることはありませんでしたが。。。こっちは一人だし。。

日本人やアメリカ人の上司からは得られない珠玉のアドバイス。。。

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