世界の名水紀行 ルーマニア編


全3回その3 ブラショフとドラキュラ城

さて世界の名水を求める旅シリーズ東欧ルーマニア編、最終回の今回はボルセックを南下しルーマニア第二の都市ブラショフとドラキュラ城を訪れます。(今回は水が出てこないかもしれませんがあしからず)


ブラショフ:快適な山麓都市

中世の時代にドイツ人(当時のザクセン人)により造られた街ブラショフを今回初めて訪れました。最初の印象としては緑豊かな観光都市といった感。この場所はカルパチア山脈の麓に位置しスキーやハイキング客の拠点にもなっており、静かな中にも何かうきうきとする高揚感が伝わってきます。高原リゾートによくある涼しく透明感あふれる空間に満たされて、非常に快適に過ごせる都市でした。ちなみに今回同行してくれたルーマニア人の友人のお気に入りでもあるらしく、彼は首都ブカレストで働きながらもマンションを買ったのはブラショフでした。プチバブルの影響か値は上がっているようです。

前回訪れたボルセックと今回のブラショフは同じカルパチア山脈でつながっています。この山麓での独特な立地条件がなければブラショフは普通の街だったかもしれず、偉大なるカルパチア山脈にまたしても脱帽です。

  ブラショフの朝

 別荘地のような雰囲気


ブラショフの見所のひとつに黒の教会をはじめとする歴史的建造物がありますが、時間が限られた今回はぶらり散策に徹してしまい(?)ここでは端折らせて頂きます。とにかく街を歩く限りほんわかと安心できる雰囲気があって、肩を張らずに時間を過ごすことができます。人間を圧倒するような建造物が無いことせいかもしれません。


旧市街の風景 
 
 
出所(ブラショフ観光局)

ドイツ風レストランでフォークロア 

ドイツ人がつくった街らしく、一番有名なレストランもケラー風の構造がドイツっぽさをそれとなく醸し出しています。ドイツのケラーレストランとの大きな違いはルーマニアの伝統音楽とダンスのショー(フォークロアショー)があることかもしれません。それと赤白両方の世界的産地である優れたルーマニアワインを楽しむことができました。ひとつ不思議に思ったのは、飲んだリースリングワインがみなイタリアン・リースリングといわれるものであったことです。個人的にはドイツ産の方が美味しいと思いましたが果たして実際どうなのでしょうか。

   

さて、翌日にはブラショフを後にしますが、とにかく快適な気候とローカル文化を充分に満喫できる魅力あふれた街でした。また来たいと思いますし、みなさんにもお薦めできるところです。

ブラショフ関連の参考URL

世界の車窓から http://www.tv-asahi.co.jp/train/contents/east_europe/0723.html

ブラショフ市公式HP(英語) http://www.brasov.ro/indexeng.php3

ドラキュラとブラム城

ルーマニアといえばやはりドラキュラは欠かせません(個人的に)。吸血鬼ドラキュラは20世紀にアイルランドの作家ブラム・ストーカーが作ったフィクションですが、この怪物のモデルとなったヴラド3世という人物が15世紀に実在しました。

ヴラド3世は現在のルーマニア中南部ワラキア地方、当時ワラキア公国を治めた領主で、数多くの敵や犯罪者を串刺しにした伝説が残っています。串刺し関連の真相はともかく、その残酷なイメージが勝手に増殖してヨーロッパに彼の名前が広まったらしいことが今回の旅行で分かってきました。ルーマニア国内での評価は高く、これは厳格で不寛容な王様であることとオスマントルコから祖国を守った英雄像の二つのイメージが入り混じっているようです。南西に隣接する今のブルガリアがオスマントルコの支配下に入ったこともあってか、決して広大とはいえないワラキアの住民からすれば母国を強大なオスマン帝国から守った英雄という一面も分かります。  

 悪魔を意味するドラゴンの子供を意味するドラクラをとってヴラド・ドラキュラ公と呼ばれていた。

そして最後にドラキュラ城です。

城の正式な名前はブラン城で、ブラショフ市内から車で20分ぐらいの丘陵地帯に位置しています。もともと13世紀にチュートン(ドイツ)騎士団により作られた要塞が原型で、14世紀後半からは対オスマン防衛上の重要な拠点として利用されることになります。ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」はこの城をモデルとしましたが、 ドラキュラ伯爵のモデルであるヴラド公自身は一時身を寄せたことはありましたが城主として居住はしてはいませんでした。 現在のブラン城は中世当時の姿のまま現存し、確かに吸血鬼が棲んでいそうな雰囲気を漂わせています。 城内には拷問室や近代になって発見された秘密の抜け穴などがあります。

現在このお城は中世からの歴史史料を集めた博物館となっています。

左:ブラン城入口      

    右:秘密の階段

 

丘の頂上に立つブラン城

20世紀に入ると、ルーマニア女王マリアがブラン城をそれまでの要塞から王室公邸へと改造し1938年まで実際に居住していました。ハプスブルグ家に嫁いでいたマリアの娘プリンセス・イリアナが1940年のルーマニア帰国後に住んだのもこのブラン城でした。イリアナはここを拠点にし、貧困層を助け、第二次世界大戦中は看護婦として積極的に働き、さらにブラン城のそばに負傷者のための病院までも建設することになります。この病院は「王女の心の病院」と呼ばれ、ヒューマニティあふれるイリアナの人柄が国民に愛されていたことを示しています。 

プリンセス・イリアナの写真画像

ドラキュラ城として恐いイメージがあるブラン城が、たった60年前に心やさしい王女が人道支援の拠点となっていたということを今回初めて知りました。

名水名水紀行 ルーマニア編 おわり


ボルセックのご購入


↑トップに戻る