自分さえよければ

京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は今の経済界に漂っている「自分だけ儲かればいい」という風潮を批判しました。僭越ながら全く同感です。

「自分さえよければ」という心情は程度の差こそあれ誰にも存在するものと思われ、自分も以前そんな部分が結構あったと恥じています。

「自分さえよければ」という風潮は国、人種、民族、産業、企業など、ありとあらゆる単位でみられ、勿論個人レベルでも。

サミュエル・ハンティングトンの文明論にもあるように、私の権利より公の安定を尊重してきた東アジアにおいては「自分さえよければ」というのは不道徳そのものでありながら、日本における自己中心主義は単純なものからディスガイズされ一見わかりにくいものまで多様に蔓延しつつあるように見えます。

全ての人間は私でありながら公に属しているわけですが、後者は忘却の彼方に追いやられ、私たち一人ひとりが社会の一部であり(先人たちを含めた)現社会に生かされていることを忘れたかのようです。

私的な主義主張活動そのものは全く構いませんが、それが社会全体でプラスになるのか? 迷惑をかける人はいないのか?

不特定多数の株主に所有され4半期報告も義務づけられている上場企業は構造的に社会(マクロ)利益の最大化を目指せないミクロ利益極大装置という面があります。

平成の日本では労働派遣法により企業が正社員を減らし、産業界全体で巨額の利益を計上した一方で非正規社員の多くが結婚できず少子化が進行、国の根幹たる人口構造の弱体化を招きました。

その活動が社会全体でマイナスとなるケースは営利組織に限りません。

慈善団体を標榜するNPOやNGO。

ある特定課題があったとして、当該課題を本当に解決するというより、その過程における私的な自己実現、尊敬・社会的認知、それらによる経済力を含めた多様な私力の獲得が真の目的である例がいかに多いか、私たちは薄々気づいているのではないでしょうか?

環境NPOが最近多く見られますが、実際のところは?

例を探してみたところ、CO2やプラスチック廃棄物削減のためペットボトル水の消費を減らし水道水の活用を増やす活動をしている世界的NGOがありました。マイボトルを持つ歩行者が店頭などで水道を無料で使えるという仕組みです。

水を通じて健康とQOLをもたらすのが弊社のMission Statementですので、水を飲むことを促すアイデアには共感します。

他方、この活動は近視眼的に見え、偽善の匂いが漂っています。

簡単に検証してみましょう。

この活動が正当化されるには、つまり一般大衆から幅広く寄付金を集める資格を得るためには、当該事業モデルに少なくとも3条件が必要なはずです。

1.当該事業がペットボトルのミネラルウォーターの流通量を減らすこと

2.ペットボトルのミネラルウォーター流通量が減ることでペットボトル廃棄物が減ること

3.ペットボトルのミネラルウォーター流通量を減らすことによりCO2が削減されること

*上記各項は当該活動が社会に対しNETとしての不利益をもたらさないことが大前提です。

1.条件を満たしていると思えません。ペットボトル水の代替とするには店頭給水スポットの密度を高め広域性を確保する必要がありますが、実現性が疑問です。また仮に実現した暁にはそれだけの機械製造運搬その他活動により3.にも関連するCO2排出が増えた事を同時に意味することになります。

外出時にマイボトルを持参する人なら、自宅の水道水を氷なども一緒に入れて出発することが多いと思われますが、その場合は店頭給水スポットでの給水需要は持参ボトルの水が空になってからしか生じません。

また、マイボトル給水利用者はそもそもペット水を飲んでない人が多いであろうことは仮定としても的外れではありません。

2.ペットボトルのミネラルウォーターの流通量減少とペットボトル全体の廃棄物減少との関連が明らかでありません。ペットボトルの廃棄物は国内でリサイクルの外側で不正に捨てられるか外国から流れてくるかで生まれるとして、後者は別課題にてここで触れませんが、リサイクルシステムの外側でペットボトルを捨てる不適行為が廃棄物の要因であれば、それら行為を防ぐ活動の方がずっと効果的です。

前述のとおりミネラルウォーターはペットボトル製品の一部に過ぎず、それだけが減ったところで解決しないのがゴミ問題であり、間接的に廃棄物のごみが減る可能性は勿論あれど、ごみ削減を目指し街角で水道給水させる活動はまどろこしく非効率な事業です。

3.仮にマイボトルの店頭給水によりペットボトルのミネラルウォーター流通量が減ったとしましょう。この運動が大成功したとして、例えば全体の半分ものペット・ミネラルウォーター流通量が減少したと仮に想定しても、それによりどれだけのCO2が削減されるのでしょう。削減されないと言っているわけではありません。水以外の全てのペットボトルを多数の国で全廃するぐらいのスケールでないと有意義な地球大気への好影響にはならないと推測します。

また、ペットボトルを減らしたとしてもガラス、紙、その他の容器に代わるとしたら結局それら生産で新たなCO2が排出されることを忘れてはいけません。

更に、あるデータによれば、金属製のマイボトルの生産によるCO2排出を考慮に入れればマイボトルを10杯分ほど使用しないとペットボトルCO2削減効果が出ません。つまり、6、7回金属製マイボトル使うだけなら逆にCO2を増やしてしまうのです。

他方、ペットボトルのミネラルウォーターの流通量を減らすことによるマイナス面としては、当該産業における生産・利益の減少による(現状ですら低位の)賃金の更なる下降圧力、失業、産業技術力衰退、消費者の選択肢減少、納税額減少、などが挙げられます。

そうなった場合のこれら社会的マイナスは比較的確実で、すなわち、この運動でCO2やゴミが減らなくても片や給与は下がり失業は増え景気は更に悪化することは容易に想像がつきます。

すなわち、本当に正直で聡明な人間ならもっとストレートな方法でCO2やごみの削減に挑むでしょう。そしてその活動資金は自己資金で始めるのが筋です。

おそらくマスメディアはこのような運動を好意的にとり上げるでしょう。当該活動者の自己実現たる私的目的があるとすれば、それら報道により彼らは一定の目的を達することになるわけです。ゴミCO2削減が未達でも。

慈善活動家と称する人たちでも「自分さえよければ」に分類される人たちが混じっていることが多々あります。

普遍的かつ有限な「水」は、社会的活動にはもってこいの素材であり、それゆえに偽善がはびこりやすい。

水に生きる専門家としては、真に意味ある活動に賛同していきます。

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